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事務所案内



代表挨拶

しもやしき行政書士事務所 - しもやしきまさと
この度は、しもやしき行政書士事務所のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
代表の下屋敷 将渡(しもやしき まさと)と申します。
「下屋敷」という名字に馴染みのない方がほとんどかと思います。
私自身、家族以外でいえば、親族の数名しか同じ名字の方にお会いしたことがありません。それでも、市内には同名の地名があり、同姓の方も、市内に数十人、全国に約600人以上いらっしゃるようですので、いつかご縁が繋がる日を楽しみにしております。
名前についてですが、「将のように世の中を渡ってほしい」――そんな両親の願いが込められた名を授かりました。まだまだ未熟ですが、それでもこの名に恥じぬよう、日々精進しております。

何故、姓名についてしっかりと触れさせていただいたのかは、私が開業に至る経緯の中でも重要な要因ともなっているからです。少々長いですが、この先もそのまま読み進めて頂きますよう心よりお願い申し上げます。

 事業に専念するため、書類作成の負担を減らしたい事業者様
 大切なご家族のために、遺言書の作成をお考えの方
 複雑な相続手続きに、専門家の助けを借りたいとお困りの方
 身近に頼れる人がおらず、将来に不安を感じていらっしゃる方

こうした皆様の「ちょっと困った」に、真摯に寄り添い、手続きの面から解決のお手伝いをさせていただきます。
暮らしや仕事の中で起こりうるトラブルを未然に防ぎ、万が一問題が生じた際には、速やかで円満な解決への道筋を示す――そんな「羅針盤」のような存在でありたいと願っています。どうぞ、どんな些細なことでも、お気軽にご相談ください。
皆様にとって、身近で頼れる窓口となれるよう、誠心誠意努めてまいります。
しもやしき行政書士事務所 - しもやしきまさと   この度は、しもやしき行政書士事務所のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
代表の下屋敷 将渡(しもやしき まさと)と申します。
「下屋敷」という名字に馴染みのない方がほとんどかと思います。
私自身、家族以外でいえば、親族の数名しか同じ名字の方にお会いしたことがありません。それでも、市内には同名の地名があり、同姓の方も、市内に数十人、全国に約600人以上いらっしゃるようですので、いつかご縁が繋がる日を楽しみにしております。
名前についてですが、「将のように世の中を渡ってほしい」――そんな両親の願いが込められた名を授かりました。まだまだ未熟ですが、それでもこの名に恥じぬよう、日々精進しております。

何故、姓名についてしっかりと触れさせていただいたのかは、私が開業に至る経緯の中でも重要な要因ともなっているからです。少々長いですが、この先もそのまま読み進めて頂きますよう心よりお願い申し上げます。

 事業に専念するため、書類作成の負担を減らしたい事業者様
 大切なご家族のために、遺言書の作成をお考えの方
 複雑な相続手続きに、専門家の助けを借りたいとお困りの方
 身近に頼れる人がおらず、将来に不安を感じていらっしゃる方

こうした皆様の「ちょっと困った」に、真摯に寄り添い、手続きの面から解決のお手伝いをさせていただきます。
暮らしや仕事の中で起こりうるトラブルを未然に防ぎ、万が一問題が生じた際には、速やかで円満な解決への道筋を示す――そんな「羅針盤」のような存在でありたいと願っています。どうぞ、どんな些細なことでも、お気軽にご相談ください。
皆様にとって、身近で頼れる窓口となれるよう、誠心誠意努めてまいります。
略歴
昭和52年生まれ。
八戸市出身。都内の大学に進学。
地元に戻り、自営商工業者の団体職員として8年勤務。建設会社の従業員として10数年勤務。親族の経営する会社の社員から役員に。
2022年度行政書士試験合格、2025年8月行政書士事務所を開設。
既婚、子供2人。
趣味は、スニーカーを洗うこと。
好きなバンドは、Minor Threatなど他多数。


開業への想い ― 私が行政書士を志した理由

私が行政書士という仕事に導かれたのは、家族が直面した、あまりにも人間的で複雑な相続の経験と、明らかになった自分のルーツが原点にあります。

母の看取りとバームクーヘン
3年前、母は長い闘病の末に、静かに息を引き取りました。

コロナ禍で厳しい面会制限が続く中、母の好物を手に病院へ通った日々。
病室で交わした「じゃあね」の一言――あの日の声は、今でも耳に残っています。
亡くなる数日前から、母は食事をとることができなくなっていました。
それでも最期の日、母が口にしたいと言ったのは“バームクーヘン”
私は急いで買いに走りましたが、それが母の口に入ることはありませんでした。
迎えた火葬の日。
控室でふるまわれたお茶菓子は、奇しくもバームクーヘン。
背中に冷たいものが走りましたが、その偶然に、親族で顔を見合わせ、
「どんだけ食べたかったんだよ」と私がつぶやくと、皆に笑みがこぼれました。

病室に残された、封を切られていないバームクーヘン。
それは母へのお供えとして、しばらくの間、仏壇に置かれていました。

悲しみに暮れる間もなく、私たちを待っていたのは、無我夢中でこなさなければならない数々の手続でした。
残高わずか数百円の預金口座を解約に、金融機関で求められる書類と手続。
「こうして本人が来ているじゃないか!」と声を荒らげる父。
その横で、私はただ黙々と書類を書き続けるしかありませんでした。財産が多かったわけではない母の相続でさえ、これほどの精神的負担を強いられるのです。
もし、遺産分割や事業承継、相続税などが絡んでいたら――私たちはどうなっていたのだろうと、今でも思います。



祖父の訃報と、戸籍に刻まれた人生
父方の祖父が亡くなったことを知ったのは、今から4年前のこと。
関東の行政書士法人から父に届いた一通の封筒には、私が一度も顔を合わせたことのない祖父の相続に関する書類が入っていました。遺産分割協議書や相続関係説明図などです。

85歳で亡くなった祖父は、4回の結婚、10人の子に恵まれていました。
相続人は、父を含め全国各地にいる7人の子と代襲相続人の中国在住の孫1人。
私は「じいさんって4回も結婚していたのか。きっとモテたんだな。」「相続って大変だな」と、最初はどこか他人事のように眺めていました。しかし、読み進めるうちに浮かび上がってきた事実に、その夜は眠れなかったのを覚えています。

• 祖父の結婚は、妻の死によりわずか50日でその幕を閉じていたこと
• 2度目の結婚相手が父の実母であり、その婚姻期間は1年にも満たなかったこと
• 父には、生まれる1年前に生後32日で亡くなった実の兄がいたこと
• 幼い頃、父は「実母の姉の養子」となっていたこと

私が幼い頃、近所に住む祖母とその再婚相手の家へよく遊びに行っていたため、「父と実母が離れて暮らしていた」ことは知っていました。しかし、父が『実母の姉の養子』となっていたという事実、すなわち法的な離別の真実を知ったのは、この書類によって初めてでした。なぜ養子縁組に至ったのか。父はいつ、この事実をどう受け止めたのか。新しい家庭を選んだ実母に対して、どのような複雑な感情を抱いたのだろうか――その人生の背景を想像するたび、胸が締め付けられました。
そして、戸籍に残されていた伯父の、わずか1ヶ月だけの生きた証。
それから14年後、祖父が4人目の妻との間に生まれた子に、まったく同じ名前を授けていたこと。祖父が伯父の存在を心に刻み続けていたことが、静かに伝わってきました。

私が小学生の頃、毎年お盆になると家族で訪れていた場所がありました。
2時間ほど車を走らせた山奥の家に、皆が「山のばあさん」と呼ぶ高齢の女性が一人で暮らしていました。
囲炉裏のあるトタン張りの家で、川の向こうにぽつんと建つ簡素な住まい。
その「山のばあさん」こそが、父を育てた母であり、私のもう一人の祖母。そして、私の姓のルーツでもあったのです。
点と点が線になり、過去と現在が静かに繋がった瞬間でした。



70年以上も前に生き別れた実父の訃報
それが父に届いたのは、9年も経ったあと。
「相続放棄」――ただそれだけを促す文面を前に、父は何を思ったか。
その胸の内は、当人にしか理解しえない、言葉にならない感情があったに違いありません。

父は出自をものともせず、職人として日本各地を渡り歩き、やがて海を越えて海外でも腕を振るいました。そして、ついには自ら会社を興し、母と二人三脚で経営をしてきました。
「俺は勉強したくてもできなかったんだ。“学校なんか行かずに田畑を手伝え!”ってばあさんが言うんだから。貧しくて、海の魚なんか年に一度食べられるかどうかだった」いつか酒に酔って上機嫌なとき、そんな言葉をぽつりと漏らした父の表情は、どこか遠くを見つめているようでした。
盆と正月の、ほんのわずかな期間しか家に居られない生活の中でも、父は黙々と働き、家族を支え、兄と私を都内の大学へ送り出してくれました。

今思えば、あの夏の滞在は、遠方の山奥にたった1人で暮らしている母を思う子が、その身を案じ、自らの原点を見つめ直し、次の1年への覚悟を新たにする、そんな「心の巡礼」であったのではないかと思います。
私はただ、父を誇りに思います。

「行政書士」――当初はただの資格、ただの職業、「ああ、そういえば幼馴染が受験していたっけな」位としか捉えておりませんでした。
しかし、1枚の書類、それは行政書士が作成した、人と記憶とを繋ぎ留め、時の流れに埋もれて顧みられることのなかった、父のみならず私の先祖の系譜が、私の胸に小さな火を燻ぶらせたのです。




ご先祖様の眠る場所を想う
母方の祖父母は8人の子に恵まれましたが、先祖代々のお墓は老朽化が進み、祭祀承継者の行方も分かりません。実家の土地もすでに人手に渡り、兄弟姉妹の間にはそれぞれの言い分があり、話し合いは容易ではありません。
「“墓じまい”をしろと、じいさんが夢で言っていた」――そんな言葉を口にする親族もいますが、現実的な手立ては見つからず、時だけが過ぎていきます。
ご先祖様が安らかに眠る場所を守ることが、こんなにも難しいとは、正直、想像もしていませんでした。8人兄弟の、それも末っ子の息子である私にできることは、朽ち果てていくお墓をただ眺めることだけなのか――悔しさと、やるせなさが、胸の奥に静かに残り続けています。




すべての経験が、今の私に繋がっている
これらの経験の中で感じた、途方もない不安、理不尽さ、そして無力感。
しかし、それらすべてが「同じように困っている方々の力になりたい」という、私の原動力となりました。そして、母の亡くなった年に行われた試験に合格し、晴れて行政書士としての道を歩み始めることが出来たのです。

今年、親族の相続手続きを手伝う機会がありました。
遠方からたった1人で手続きを進める彼女の不安な様子は、手に取るように分かりました。道筋を示し、ひとつひとつ問題を解決していく中で、彼女の表情が和らいでいくのを見たとき、これこそが私の進むべき道なのだと確信しました。

書類の向こうには、誰かの願い、誰かの涙、そして誰かの未来があります。
そのすべてに寄り添い、静かに灯をともすような存在でありたい。
どうぞ、あなたの物語を聞かせてください。
私がその羅針盤となれるよう、心を込めてお手伝いします。



事務所概要


名 称 しもやしき行政書士事務所
代 表 下屋敷 将渡
所在地 〒039-1163
青森県八戸市高州2-14-5
電 話 0178-20-1421
FAX 0178-20-6187
営業時間 お問合せ年中無休/午前7時~午後7時
※急な出張等により臨時休業する場合がございます
E-MAIL hello.shimoffice@gmail.com
所 属 青森県行政書士会会員
登録番号 第25043486号



アクセス


〒039-1163 青森県八戸市高州2-14-5


駐車場のご案内
敷地内の空いている場所に自由に停められます(4~5台分)



事務所外観・内観


 外観と看板
当事務所の外観入口と看板です。
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 内観
当事務所の内観の様子です。
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